お世話になった方とのお別れ

高齢者が多いということは、お別れの数も多い。

こちらに来てから幾度となく葬儀に参列させていただいたが、

また今回も大変、お世話になっていた方とのお別れが突然にやってきた。

日本人というのは『こうすべき』、『こうあるべき』ということに囚われやすい

これが外国人から、『日本はカロウだ』と言われる根源だろうと思う。

 

では、『こうあるべき』というのは誰が決めたんだろう。

多数決の論理であり、ほかの人が『こうすべき』と思うから『では自分もこうする』といった、ほかの人との比較から成り立つ社会。

他人の目を気にし、比較をして自分を正当化するその先に、果たして幸せがあるのだろうか。

 

人が生きていても良いか悪いか、なんて誰にも決められるものではない。

誰にでも失敗はあるし、生きていることその事実が大切なのである。

 

別に地域なんてもともと違った個性の集まりなんだから、『この人はダメ』なんて決して無い世界なんだろう。それが、生きていることを大切にする社会。

ただIターンは地域にとっては異物にしか過ぎない。その異物をどう扱うか。

違うものは排除するとして扱うか、

違うものを違うものと割り切り。興味を持って接するか。

 

その間で葛藤している双方が多いような気がする。

人を理解し一緒に住む選択をする、ということは、そのまま相手を受け入れる、ということ。

それが簡単なようで案外難しい。

 

今回はその後者、違いをわかってくださっているような方とのお別れ。

ひとつひとつ交わした言葉を思い出すと、やはり面倒と思っても、ストレスが溜まろうと、人とはうまくお付き合いを重ねた方が良いと再度確認する。

 

お別れの日になって、言った言葉、振る舞いの端々に重みを感じている。

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この投稿は2016年1月8日11:20 AMに公開され、自然治癒, 自給自足 カテゴリーに分類されています。 パーマリンクをブックマーク この投稿へのコメントを RSS フィードで購読できます。

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