心のざわめきは鏡のサイン

感情が無くなって自分をもう1人の自分が俯瞰できるようになった。

今日は見える世界のほうの気づきの話。

・イライラ心がざらつく時は、相手に対して“許せないこと”と同じ事を、自分が自分に対して“許せていない”ということ。

・自分に対してOKを出すと、自分が生きやすくなり、ざらついた相手とも繋がることができる。

 

 

もうこれ以上は無い!程心穏やかに過ごしている。

…と思っていたのだが、

出てきた。なんか、ムカッ!イライラ!する気持ち。

 

そこを丁寧に見て行くと、

“自分に○を出せていない、許せていないところ”が原因であることに気づく。

 

ざら っとくる気持ちは、実は自分が許せていないところの鏡、

だったのです。

 

最近のざらつきは、

“田舎らしく無いこと。”

でした。

 

元々芸術系にしか興味の無かった私。

まちづくり&デザインの学部に行くも、なんとなく町づくりをしなくては(マジメにならなくては)と、研究対象を町づくり系に設定しました。

 

けれどマジメーにやったはずの研究を教授に持って行き、見てもらう度に言われた事は、

 

“あなたはデザインがやりたいんでしょ?”

 

…本音を言う練習でした。一年間それしか言われなかった…

 

もはや今ではそんな選択をしたから田舎に来れてるんだし、

どっちでも○だったのだ。

 

 

 

話は戻って、

前職の時に、田舎に行けば

“髪型はこうして〜服装はこうで〜靴はこう。”

と、徹底的に指導されたんです。

 

“誰からも好かれる理想の田舎女子像”

 

そこから“自分の中の田舎の服装はこうあるべき”みたいなところから

抜け出せず、今に至っていました…

 

そこから、

“都会的であってはいけない”“都会的な格好をする自分=×”っていうのが、

自分の中で抜けず。

な〜んかそこでざらつきを覚えていたことに気づきました。

 

まあー、

もちろん昔ほど着飾ったり、必要以上に良く見せようとは思わない訳ですが。

 

時々は都会人になってもいいじゃーんと思えたら

都会に住む友人たちとも会おう〜と思え、

Gパンとかパンプスとか履いてもOKなんじゃーん!

と、自分に許可を出せました。

 

 

つくづく私は極端なのであった…

 

ザラつきは、自分の中の鏡というサインなんだなあ。

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この投稿は2016年12月12日8:50 AMに公開され、未分類 カテゴリーに分類されています。 パーマリンクをブックマーク この投稿へのコメントを RSS フィードで購読できます。

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